【ポンちゃんの話(村上ポンタ秀一氏)】
ドラマー同士っていうのはなかなか会う機会がない。
だから、エピソードというものが正直少ない。
スタジオのロビーでたまに顔を合わせる程度・・・
いくつか思い出すことは
ポンちゃんが塀から出てきた直後、スタジオであった時
「KEEP聞いたよ!KEEPいいね!」って言われたことや
「山ちゃん、俺、五十肩で上がらないんだよ。」
って、そんな程度、笑
でもポンちゃんが最近何をやっているか・・・何十年もの間、実は良く知っていた。
それは、誰かが必ずと言っていいほど、ポンちゃんの近況を教えてくれるからだ。
「この間ポンタさんのLive行ったんですよ、最高でした!」とか。
「音楽流れてくると、いつも「このドラム誰?山ちゃん?」第一声はそれだったんですよ。」
誰かが僕に教えてくれた。
昨日は、うちのレコード会社の社長が・・・
「「私は山木秀夫の作品作る為にレーベルやってるくらいなんですが、
ポンタさん、山木さんのドラミングをどう意識してます!?」なんて聞いた事あったんです。
市川さん時代に遡った思い出を語りながら、
「『There He Goes』、買ってきいたよ。物凄い瞬間の切り取りでさ。このプロデューサー、だれ!?
と思ったら、あなただった…」」って言った時のことを
思い出しました。って僕に語ってくれた。
(しかし社長も社長だよね。すごいこと言うなって思ったんだけど、笑
もちろんそんな社長を、愛してやまない訳だけど。笑)
KEEPの時にせよ、There He Goesにせよ
わざわざ買ってくれたんだ・・・
人の音をよく聞く人だったんだな・・・
亡くなったポンちゃんの情報見てたら
ポンちゃんの「名言」が出てきた。
「古きを知って、それを自分なりに把握することが大事なんだ」
ポンちゃんそうだよね。
今はyoutubeに育てられてるかもしれないけど
僕らの世代は、リアルに先輩に育てられた。
僕の場合、市川秀男さん。
東京に出てくるきっかけになった市川さん。
住むところさえないままに上京して
3ヶ月も居候させてもらった松石さん。1週間居候させてもらった福井さん。
今の僕があるのはこの方達のおかげ。
スタジオの仕事では朝から晩まで先輩たちから叱咤激励のシャワー。
今みたいに、あとで直せないから
みんな同時に演奏。間違えたらやり直し「おい、お前いいかげんにしろよ、何回やらせるんだよ!」
「譜面読めね〜のかよ」厳しい世界だった。
でも、それが僕らを育ててくれた。
プロスペクト理論による、それだろう。
怒られたことの方が強く覚えている。笑
もちろんあたたかい言葉はもっと倍以上もらった。
今でもその言葉に支えられていると日々感謝している。
同じ時代に育ったポンちゃんだから
「古きを知ってそれを自分なりに把握することが大事なんだ」という名言。
色々なことを思い出させてくれた。
「この間ポンタさんにお会いしたんですよ、山木さんによろしく言ってました」
「あ、ほんと。元気だった?うん、じゃあ今度会った時よろしく言っといて」
こんな会話は実に頻繁に行われた。
ある時、僕は「ポンちゃん、好きだよって言っといて」
「はい、承知しました。」
後日
「ポンタさんに、山木さんが好きだよって言ってましたってお伝えしました。
そうしたら、
なんだよ〜、照
気持ち悪り〜な!って言っておられました。笑」
僕は、いつもポンちゃんが何をやっているか知っていた。
ポンちゃんも、僕が何をしているかを全部知っていたはず。
これから、ポンちゃんはいつでもどこでも僕のことを見てるんだろうと思う。
だから、ポンちゃんに見られて恥ずかしくないように
毎日しっかりしたドラムを叩き続けるだけだ!!!